アラフィフ婚のすゝめ

アラフィフ婚夫婦の日常つれづれ日記

2021.12.24 聖なる夜に祈りを込めて

兄の運転で自宅アパートに送ってもらったのが1221日の夜。

あの地獄を見た日、散々のたうち回ったけどそれなりに救急車を呼ぶ際に片付けたつもりが、イヤリングと指輪がテーブルの下に散らばっていた。よっぽどだったんだな。いや、うん、よっぽどだったわ。

 

翌日にはすぐに仕事に行こうと思っていたのだけど、22日に目が覚めてびっくり。身体が全然動かない。身体が重い。あ、これは無理。

お仕事、休みました。

 

結局その翌日も休んでしまい、もうマジ仕事ヤベえぞレベルになったので本日(書いてるの違う日だけど)出社することに。

吐き気も治まったし、身体の痛みも重さも感じなくなったし、きっと大丈夫と高を括ってバス停に向かったものの、早くも異変。よぎる胸のむかつき。

バスを降り、職場の入るビルに向かうもむかむかは増すばかり。

これは、ヤバい。

 

3日も休んでしまったので、職場では上司もスタッフ仲間も心配してくれていて、労りの言葉の大合唱。あぁ、本当にありがたい。

が、しかし、気持ちが悪い。どうしよう。

 

私の仕事はデータの精査と電話確認が主。精査だけならともかく、電話はこれ結構な重労働。今のご時世、マスクして話さなければいけないので、意外と声量も必要。

普段なら全くきにならないけれど、一件電話をしただけで自分の声に全く力がないことが丸わかり。これ、この後も何十件も繰り返すとかシャレにならないレベルに無理。もう午前だけで根こそぎ体力奪われて、それでもデータは片付かないしで泣きそうな気持ちに。

 

だけど、無理をしてまた吐いてしまったり倒れてしまっては余計に迷惑を掛けてしまう。

意を決して上司と相談。午後休をもらうことに。私に割り当てられていたデータは他のスタッフ仲間が引き継いでくれることになり、謝り倒して退勤。

その際、上司に月曜日は検査結果を聞きに行ってからの出社になるので午後からですと伝えておいた。

 

さて、ふらつきならがもバスに乗り込みホッとしていると、母からLINEが。仕事に行ったのか聞いてきたので、出社はしたが早退して今バスの中だと返信。

バスを降りると近所のスーバーでゼリーやプリン、飲み物を買い足して帰宅。取り敢えず薬を飲む為に軽いパンを食べてからひと眠りしよう、と思っていたら…。

 

ピンポーン

 

は?何?セールス?居留守使おかな。でもなんか嫌な予感。

出てみると、母。やっぱりなーっ!予感的中ーっ!

 

母は当たり前のように上がりこみ、大量のプリンとヨーグルトやうどんを寄越してきた。いや、まあ、ありがたいんだけどさ、ただでさえ戻るバスの本数少ないよね?次のバス何分なわけ?

内心引きつりながら問うと、なんと50分後と。

 

私、寝たかったんですけどーっ!(嘆)

 

「いいよ、寝ときよ」と母。

いやいやいや、この狭い部屋の中に人がいたら落ち着いて寝てられないって。私が独り暮らし始めた理由を忘れたか。とにかくひとりになりかったからなんですけど(大家族育ち)

 

なんだかんだとバスの時間ギリギリまでいた母。玄関まで見送って一度施錠したところで戻ってきて、渡すものがあった!とバッグをごそごそ。結構な時間を掛けて取り出したのはマルチビタミンサプリメント。いや、別にそうまでしていらな…いや、なんでもない、ありがとう。て言うか、急がんとバス来るぞ。

 

ようやく母も帰り、改めてお布団に潜り込んで就寝。から爆睡。

私の身体は、いったいいつ本調子になるのでしょう。

 

そう言えば今日はクリスマスイヴでしたね。深夜に外からシャンシャンと鈴の音が聴こえたような気がしましたが、空耳でもなんだか幸せ(のちにガソリンスタンド閉店の際の片付けの音だと判明)

 

今年は誕生日もクリスマスも散々ではあるけれど、でも、見方を変えれば幸せだと言えないこともない。それと言うのも、誕生日の朝、まだ点滴でろくに身動き出来ない頃から続々とSNSでお祝いメッセージが届き始めていたから。

それだけでも嬉しかったのに、体調不良と入院したことを明かした後からはお見舞いメッセージも届くようになって、中には笑わせにかかった愉快な画像付きメッセージなんかも。ツラさを和ませてもらえて、本当にありがたかった。

 

もうね、小中と私をいじめて登校拒否に追い詰めた奴らに今の私を自慢してやりたいわ。今の私はこんなに幸せなんだぞーっ!て。

 

あ~、これが今年のサンタさんからのプレゼントだったのかしら。その直前に何も地獄を見せてくれなくても良かったとは思うのだけど。

 

世界中で、どんな形でも、みんなが幸せを感じられる夜でありますように、と祈らずにはいられませんでした。