アラフィフ婚のすゝめ

アラフィフ婚夫婦の日常つれづれ日記

新たな病が発覚?

先日、夜更けに目が覚めまして、そのまま再入眠出来たら良かったのですが寝付けず。

 

いつまで経っても眠れないどころか、横になっているのも苦痛に感じてきてむくりと起き上がり、そのまま布団の上で座り込んでボーっとしていました。はっきり言って、傍から見れば「あなた大丈夫?」て感じですが、事実、間が悪く目を覚ました虹夫さん当然のように「どうしたの?!」と飛び起きてきました。

 

半月ほど前にも深夜にお手洗いに起きたところ、布団に足を取られて激しく転倒。スローモーションで世界が傾いていく中で、このまま虹夫さんの足の上に倒れてしまい骨折をさせてしまうか、床に倒れ込んで下の階の方を驚かせてしまうかの二択になりそうなところでギリギリ布団の端の上にダイブ。当然虹夫さんビックリして飛び起きる、からの「大丈夫?!」と私に覆いかぶさるように飛びついてくる。

ごめんなさい! 本当にごめんなさい! ただ転んだだけなんですぅ~(半泣き)

 

今回はただ転んだだけではなく、横で寝ている筈の嫁が起き上がって放心状態になっているのですから心配の仕方が違います。

「どうしたの?」「ちゃんと寝なさい」「何か不安なの?」と優しく声を掛けてくれて、私が布団に横になって潜り込んでも、安心させてくれようとしているのか身体をさすったりしてくれました。

 

本当に優しすぎて泣けます。

でも、こういう状態ってこれまでも何度かあったよな、と気が付いて、それからすぐの心療内科の診察日にその話をドクターにしました。

「その眠れなかったとき、足がムズムズしなかった?」と聞かれて、その時はピンとこなかったけれど、後から考えると確かにその時に、冷え対策の靴下が無性に不快になって脱いじゃったな。

 

貧血の方にそういった症状が出ることがあるらしく、その症状が出た時用の頓服を処方して頂きました。これで虹夫さんをビックリさせたり心配させることもなくなるかな。

大分駅前で遭遇したピカチュウ(記事とは関係ありません)



後から調べたら、脚むずむず症候群という病気があるらしく、鉄欠乏性貧血や腎臓機能の低下している方などに現れる症状だったと判明しました。対策としてはアルコールやカフェインの過剰摂取を控える、などがありました。アルコールか……。休肝日は守ってるんだけどな。まだ不足してる? 普段飲む量が普通じゃないのかしら(今更何を)

 

貧血は確かに長らく鉄剤を処方して頂いています。腎臓はどうだろう? これまで肝機能は気に掛けていたけれど、今後は腎機能についても意識していかないといけませんね。

 

いつどうなってもいいや、なんて時期もあったけれど、虹夫さんと出会ってからはお互いに健康で長生きしましょう、て気持ちです。

病気とも、ガタがくる身体とも上手いこと折り合いをつけながら生活していけるといいな。

 

私には夢がある

唐突にキング牧師。

 

私の夢は小さなもので、傍から見れば大したことないと思います。

それは夫婦の些細な日常を本にすること。タイトルは『犬も食わぬシリーズ』

絵日記的な感じと言いますか、リラックマの『4クママンガ』的な感じと言いますか。

 

普段から某SNSでこのタイトルにハッシュタグを付けて公開はしていますが、見てくれているフォロワーの皆さまはからは比較的好評です。私と虹夫さんどちらとも面識のある方々ばかりだからというのもあるでしょうけれど、感想は概ね共通していて、「読んでるこちらが恥ずかしい」だそうです。

このブログと同じで、基本は私の惚気で構成されていますので無理もないでしょう。

 

この『犬も食わぬシリーズ』は小さな夢と書きましたが、大きな夢もあります。それもまた私と虹夫さんがネタになるのですが、このブログのタイトルでエッセイ本が出せたら良いな、と。

アラフィフの男女がどんな経緯を辿って、遅すぎる門出を迎えたのか。私の汚部屋時代から遡って赤裸々に綴る感じです。

いや、汚部屋はもういいかな(黒歴史)

写真下手くそ選手権「満月」



50を手前にしてつくづく思うのは、「ほんとマジ適齢期って重要だから!」なんですけど、適齢期を逃したからって諦めなきゃいけないことなんてほぼ無いです。

さすがに出産は適齢期逃したら命の危険の割合が本当に高くなるので熟慮が必要ですが、それ以外は別に何やっても問題無いんじゃね? なんて思います。

 

48歳でダイエット失敗した上でウェディングドレスと色打掛を着た私に、もはや怖いものはない。

 

そんな私の体験を本にまとめて、同世代の方々の応援が出来たらいいな、なんて偉そうなことを企んでいるのです。

 

自費出版を薦められることもあります。ネットでの販売なら、かなり料金を抑えられるとか在庫を抱える心配がないなんてことも聞きました。

けれど、私です。自己肯定感って何? な私です。自信がありません。

やはりプロの方の講評を得て、手直しして手直しして、一定レベルの確証が無ければ出版なんて思い切った行動には出られません。

 

ということは、『犬も食わぬシリーズ』も充分大きな夢ですね。

 

今月は2件の公募に挑戦しました。先月も1件。結果は目に見えていますが、その結果がまた楽しみなのです。駄目な理由がある訳ですから、そこを深掘りして探し当てて、書き直して再度チャレンジするのです。

 

落選も、また楽しからずや。

 

今夜もハイボール片手に、好き勝手に書き散らしました。ちょっとでも笑って頂けていましたら光栄です。

おやすみなさい。

 

深夜の秘め事

夜中に何気なくだったり、お手洗いだったりで目が覚めたタイミングでネタが浮かんだりするんですよね。夢でネタが浮かんで、そこで目が覚めることも。

 

そんな時に絶対にやってはいけないのが「朝起きてから書き出そう」という判断。そのネタ絶対に覚えてないから! もう何度それで悔しい思いをしたか。

 

そんな時のネタが本当に面白いかどうかなんてことは、それこそ朝すっきりとした頭で判断すればよろしい。だいたいが大して面白いネタではないのが現実だけれど、稀に「ええやん」なものが誕生している可能性もあります。

 

そこはまぁ賭けのようなもので、でも賭けてみなければ当たりもハズレもない訳です。私は取り敢えず寝ぼけながらでも書きます。

寝室は常夜灯を点けていますので、パソコンやネタ帳の場所はすぐに分かります。大抵は適当にネタ帳のノートを開いて真っ白のページにボールペンで殴り書きです。もう順番はどうでも良いので、とにかく浮かんだことを漏れなく書いて書いて。余裕があればローテーブルの電気スタンドを点けてパソコンに打ち込んだりしています。

 

先日そうやってパソコンをカチャカチャしていたら、さすがに灯りと音で目が覚めたのか虹夫さんがもぞもぞと寝返り。そして優しく「早く寝なさいよ」と一言。翌朝になっても叱られることはありませんでした。

さすが書くことに理解のある虹夫さん。こうやって自身をネタにされても怒ることは一切ありません。

寧ろ「書く」ことを勧めてくれるのだから、本当にありがたいことです。

 

因みに虹夫さんについてネタにしているのはこのブログ以外にSNSもあるのですが、虹夫さんもお友達として繋がっているので私に何を書かれているかは本人に筒抜け。このブログも真っ先に読んでくれているし、ある意味では「検閲」を受けているようなものです。超ゆるいけど。

そんな関係性を面白がって、「凄いですよね」と虹夫さんの器の大きさを讃えてくれるお友達もいます。私もそう思います。

おネギがハート型♡



タイトル、結局全然秘めてないな。バレてるし。

何を書いてもどうしたって虹夫さんへの惚気になってしまうので、そのうちちょっと生々しいお話でも書きましょうか。という、一切期待値の上がらない予告をしてみたり……。

 

本日は虹夫さんが留守ということもあって昼から飲んでいるので、もうすっかり酔ってます。予告も軽く読み流しておいていただけるとありがたいです。

おやすみなさい。

 

人の一日は挨拶に始まり、挨拶に終わる

昔観た映画の中で、主人公が自分のすることが上手くいかないことに機嫌を悪くして、家族にもきつく当たってしまう場面がありました。そんな主人公に妻がタイトルの言葉を掛けるのです。

おはよう、いってきます、おかえりなさい、ありがとう、ごめんなさい、おつかれさま、おやすみなさい。

私が虹夫さんとお付き合いするようになって、特に意識して使っている言葉です。

 

至極シンプル。だけどとても大切で重要な言葉です。そんな挨拶の言葉、皆さんはどんな場面でどんな人たちに掛けていますか?

 

新年が明けて本日は七草粥の日ですが、お粥は置いておいて、今更ですが新居から一番近い神社にお参りに行ってきました。以前から存在は把握していましたが、そこへ行くには交通量の多い道の狭い歩道を行き、更に細い路地に入るのでなかなか億劫になっていたのです。

 

ですが、元旦に義実家のご両親と虹夫さんに連れられて氏神様に初詣に行ったり、地元の産土神を祀る神社、職場近くにある弁天様にお参りに行ってきて、改めて今住んでいる土地の神様にご挨拶せんでどうするよ! と思ったのです。

 

今日は私だけ早く仕事が終わったので、虹夫さんはいないけれどひとりでその神社へ行ってきました。遠くからでも立派な大樹の姿が見えるので、そこを目指します。あっという間に付きました(笑)

 

普段は無人の小さなお宮で、鳥居もこじんまりとしていましたが、お賽銭を入れてご挨拶。

昨年よりこの土地に移り住みました、〇〇です。ご挨拶が遅くなり申し訳ありません、とお詫びも忘れずに。

お参りの後、ちょっと裏へ廻ってみると遠くから見えていたご神木の楠が思いのほか立派過ぎて唖然。もうね、巨木です。大きな柵の中に囲われているのですが、そこにあった看板によると樹齢400年は経っているそうです。

傷みもあるようですが、大切に手入れをされているのが分かります。きちんと注連縄も新しいものに取り換えられているようでした。

 

引っ越しの挨拶も、新年の挨拶も出来て、特に信仰心もないけれどなんとなく安堵感を覚えました。

今年の大晦日には、きちんと1年の感謝のお礼を伝えに行かねば。

画像下手くそ選手権ノミネート作品「ご神木」



そうそう、新年の挨拶と言えば前述しましたが義実家へも行って来まして、お義父さんがかなりご機嫌になったりしましたが、そこにもご親戚が新年の挨拶をしにいらっしゃいました。お仏壇に手を合わせて、他にご用事があるらしく早々にお帰りになりましたが私も嫁としてそれなりにご挨拶が出来たのではないかな?

 

て、若い嫁ならいざ知らず、49歳にもなって満足に親族に挨拶も出来んでどうする。

 

どんなに喧嘩をした翌日でも、「おはよう」は必ず言いあうという夫婦のルールはよく聞きます。幸い我が家はまだ喧嘩になったことはありませんが、もしも今後そんな危機が訪れても、必ず挨拶は忘れないようにしようと思っています。

私の方がへそ曲がりなので、こんなこと言ってる私が意地を張りそうではありますけどね。

 

初夢は仕事

嫌なタイトル(笑)

 

皆さま明けましておめでとうございます。

本日は正月二日ですが、初夢はご覧になったでしょうか? そして覚えていますでしょうか。

夢って余程強烈じゃないとすぐに忘れてしまうので、今のうちに備忘録のような感じでここに書いてしまおうと思います。

 

まずは、そこは職場のようでした。

最初はビジネスホテルの客室清掃(現実でも現在その仕事をしています)をしていて、いつの間にか場面がエステサロンに変わり、更に次第に物語が展開して気が付いたらお針子になっていました。

目まぐるしい変化は夢ならではですね。

 

エステは短期間でしたが経験はありますし、裁縫は得意ではないものの、何度か自分のワンピースを自作したりマフラーや手袋を編んでみたりはしたことがありますので、どちらも最低限の知識はあります。

 

私はそこで、ロングスカートのワンピースを作らんと型紙を切り、布にあてて裁断をしているとことでした。ですが途中でレシピを紛失して作業を続けられなくなってしまいます。

就業時間を過ぎても当たり前のように帰してはもらえないし。

理不尽に上司らしきおっさん…じゃなくて男性に罵声を浴びせられたりして、心が折れそうに。

 

夢の中で私は虹夫さんに「もうこの仕事辞めたい。もう無理」と泣き言を言います。

それに対する虹夫さんの返事は覚えていませんが(そもそもスルーされた可能性もありますが)、なんか、取り敢えず働いてミスしてなんか叱られてヘロヘロになるってことですね。

 

嫌な初夢だな、マジで。

おみくじも当たり障りなく



今年はこんな歳になるのかな? 嫌だなー、本気で嫌だなー。

そうならないように、この夢を教訓にお仕事は慎重に勤めたいと思います。

 

それでは本年も、当惚気ブログをよろしくお願い致します。

 

 

家族が増えてのはじめての年末年始

49年生きてるので年末年始はその歳の数だけ越してますけれども、嫁いでからの『はじめての年末年始』です。

私の実家では昔は仏間の畳をすべて剥がして庭で干したりなんてこともしたこともありましたが、あれ大変ですよ。いつの間にかやらなくなってました。

 

でも大掃除と大晦日のご馳走作りは必ずやっていて、ある年末には父の指揮のもと、私がおでんを作ったこともあります。大根やすじの下茹もやりましたとも。

 

独り暮らしを始めてからはそんな生活からも遠ざかり、大掃除なんてしないし(結果、汚部屋になった)、ご馳走も超近場に出来たスーパーでなんでも揃うので何も作りませんでした。

 

そんなだらしのない年末年始も22年で無理矢理ピリオドが打たれました。今年からは虹夫さんのご実家とのお付き合いが始まったのです。

 

年賀状はさすがに結婚初年なので、遠方の虹夫さんのお友達などを中心に出しました。その宛名書きから私の年末年始の始まりでしたね。私個人はとっくに年賀状仕舞いしてたんですけど。

 

そして昨日は虹夫さんのご実家で、ご親族と一緒にお餅つき。薪と羽釜、木の蒸籠で蒸したもち米を機械でついて、手動の道具で丸めていきます。

私はお餅を丸める道具のお手伝いをしましたが、なかなか上手くいかず。それもさすがに何時間もやっているうちにコツを掴んできて、最終的にはお義母さんから褒めて頂けました。

「来年もお願いね」には内心ヒヤリとしつつも「はい、頑張ります」と返しておきました。

火の番をする虹夫さん



その夜は虹夫さんのお友達の皆さんと忘年会。

本日は特に予定はなかったので、いつもの週末と同じく、モップと掃除機とクイックルで拭き掃除。

明日は飲み友さんたちと今年最後の飲み事です。

そして大晦日は私の実家と虹夫さんの実家に挨拶に行ったり、ご馳走の準備。

元日は虹夫さんのお宅へ行って、初詣に宴会が待っています。

2日は初飲みの予定で、3日は仕事始めに備えてのんびりする予定です。

 

初詣、いつ行くねん。仕事始めの後かしら?

 

昨年まではせいぜい飲み友さん達との飲み事程度だったのにな。

結婚するって、家族が増えるって、こういうことも起きるんですね。

 

そうだ、クリスマスの日に買ったごまめで田作りも作らないと。虹夫さんの大好物なのです。

去年と今年のバレンタインにも作ったのですが、どうにも納得のいくものが出来ず。今度こそ三度目の正直で美味しい田作りを食べてもらいたいものです。

 

仕事納めも終えて、久しぶりの長いお休み。でも休めない年末年始。

これまでが怠惰だったので、そんなのも良いものかもしれません。

 

生きてることが黒歴史

12月24日、今夜はクリスマスイヴです。聖なる夜に凄いタイトル(笑)

 

なんだか毎日があっという間に過ぎて行っている気がします。自分の誕生日も慌ただしいままに過ぎました。

48歳から49歳へ。改めて文字にしてみると、結構胃に負担が掛かります。もう私もそんな歳なんだな。日常会話の中で当たり前に「40年前にさぁ」とか言えちゃうんですよね。

 

40年前、9歳。閉じこもっていた殻が次第に厚くなってきた頃です。

 

私は心身ともに成長が平均より遅く、家族から自己主張は「悪」だと都合良く擦りこまれて育ちました。何を言ってもやっても否定しかされず、今でいう「自己肯定感」など芽生えては踏み潰されて生きてきました。

 

自信のない人間は周囲に舐められますので、それはもう面倒な学校生活でしたよ。本当に面倒臭いから中学からは殆ど行ってませんけど。

 

14歳でようやく生きがいを見つけて高校進学はしたものの、やはり自信が持てずに行動起こせず。

生きがいは10年で天に召され、そこから今まで、まさに惰性で生きてきましたよ。

 

それが虹夫さんに出会って、私の奇行や変わった発想など一切拒絶しないその人柄に、ようやく私の承認欲求が満たされたように思っています。

私なんて何をやっても駄目だ駄目だ、と思っていた気持ちも、虹夫さんがうんうんと受けとめてくれます。なんでそんなに懐が深いんだろうなぁ。

 

虹夫さんを見ているとこれまでの自分が恥ずかしくなってきて、過去をすべて消してしまいたくなります。まさに生きてきたことそのものが黒歴史です。

 

その「黒歴史」あっての「現在の私」ではありますが、……やっぱり思い返したくないなぁ。

 

それだけ現在が幸せってことでしょうか。

お誕生日に寒い中、サプライズでウヰスキーを届けてくれるようなお義母さんに恵まれて、私という嫁は本当に幸せ者だと思うのです。

サプライズバースデープレゼント



さて、クリスマスイヴですよ。

黒歴史はひとまず封印して、虹夫さんとも夫婦初めてのクリスマス、どう過ごしましょうか。

プレゼントは無いけれど、ゆったり穏やかに、美味しいものを食べて飲んで、いつもの夜みたいにくだらない話をするんでしょうね。

 

皆さんはどんなクリスマスを過ごされますか? 

 

Merry Christmas☆