アラフィフ婚のすゝめ

アラフィフ婚夫婦の日常つれづれ日記

【連載】アラフィフ婚への道⑤互助会という強力な助っ人

3月上旬、天空(そら)の森セントクレアヒルズにて初回打ち合わせ(前回は当選説明会)。

 

以前ゼクシィで「ウェディングノートを作りましょう」という記事を読んで、どのような形で作成するのが良いのだろう? と思っていた。

すると、担当プランナーさんがA4サイズのハードカバーのファイルを差し出して「おふたりのウェディングノートです。こちらプレゼントです」と。

 

内容はふたりの馴れ初めやお互いの第一印象など記入するテンプレートがたくさん。項目を埋めていけばオリジナルのノートが完成するという次第。

両親や兄弟との思い出なんかも書くところがあって、作成するにあたって家族と話をする時間を作る必要があるのもまた良い。

 

ただ、改めて私が生まれて時どう思った? なんて母に尋ねるのは、なんとなく気恥ずかしい。

 

そんな母から、セントクレアヒルズでの挙式が決まった話をしたところ、「それなら昔に掛けていた互助会の掛け金使えるよ」と言ってもらえた。母が掛け金を掛けていたのはずっと昔。その当時の互助会は既に運用を終了しており、現在はセルモグループが引き継いでいる。

 

セントクレアヒルズに問い合わせ、母の会員情報が確認されたことで私たちの結婚式費用にも利用できることが分かった。

トリニータコラボキャンペーンでかなりお得に結婚式を挙げられるけれど、互助会プラン併用で更に手出しが抑えられるのは大変助かる。

 

ただしプランの内容が当時とは異なるらしい。

 

説明の結果、コラボキャンペーンでは新郎と新婦の衣装はそれぞれタキシードとウェディングドレスの1点ずつだが、互助会プランを使えば私は色打掛も無料で着ることが出来るプランが利用可能だった。

新郎の紋付袴は追加料金になってしまうが、4着の衣装のうち手出しは一着分のみでお色直しが可能になる。

 

他にもメモリアルフォト1枚とブライダルエステが1回、両親の衣装も無料となった。

具体的に金額に直すと、約35万円の経費を抑えることが出来た。

 

因みに私の父は早く(?)に他界しているので、両親の衣装で必要なのは留袖だけ。

兄に代理としてモーニングを着てもらう? 虹夫さんの挨拶にも父親代わりに同席してもらっているし、顔合わせの食事会にも来てもらっている。

 

だが、兄は兄であって、父では当然無い。兄も「俺、父親じゃないんだけど……」と困惑しているのは何度も聞いている。

 

実はこの先、この件でひと悶着起きることになるがそれは別の機会に書こうと思う。

 

改めて見積書を見ていると、互助金の名義人が記載していることに気が付いた。

そこには、先程も書いた父と、父方の祖母の名前があった。

 

祖母は私が高校生の頃に亡くなっている。私は祖母とは仲が悪かった。

父ともまた、歳を取るほどに仲が悪化していた。

どちらとも、最後の会話など覚えていないくらいに長いこと会わないまま亡くなった。

 

そんなふたりの名義の掛け金で、私は花嫁衣裳を着ることになるのか。

そう考えると、なんだか申し訳ないような、なかなか複雑な気持ちである。

 

この打ち合わせは3月の半ばのこと。

月末には紹介状についての打ち合わせが行われた。

 

大量のサンプルを前に目移りしてしまう私。やはりディズニーのデザインはどれも洗練されていて可愛らしく、特別ディズニー好きなわけではないのに眺める時間が長くなる。

 

でも、虹夫さんの反応は淡泊。知ってる、ディズニーに一切興味ないってこと。

 

式も披露宴にもディズニーをまったく使用しないのに、招待状がディズニーなのはアンバランスだろう。断念した。

 

花を基調にしたデザインにも洋柄や和柄それぞれに良さがあり、なかなか決まらない。

そうこうしながらも「お、これは!」と思えるものが幾つかに絞られてきた。

虹夫さんに「どうかな?」とそれぞれ示してみると、そのうちのひとつに「いいやん!」と。

 

即決です。

優柔不断で決断力のない私。私が赤も青も良いのなら、虹夫さんが赤が良いと言えばそれで良いのである。

 

マットな光沢のあるクリーム色のカードに、小鳥や花の切り抜きやゴールドが散りばめられている。

純白のカードにシルバーのラインの入っているのとで私はかなり迷っていて、帰りにも「あっちの方が良かったかも……」なんて思ったりもしたけれど、後日手許に届いたカードを見たら吹っ切れることになる。

 

因みに招待状はコラボキャンペーンで100セットまで無料だったので、虹夫さんが40セット、私が30セットで注文した。多めに頼んでいたのが、この先かなりのグッジョブな結果となる。

 

この時点で結婚式まで約3ケ月半。まだまだ余裕をぶっこいていたが、それが自分の首を絞めることになるのは想像に難くないのであった。