妙春堂の日常ーアラフィフ婚のすゝめー

アラフィフ婚にむけての日常つれづれ日記

【連載】緊急号外「緊張の初めまして」

本日は、わたくし妙春の実家と虹夫さんのご実家、それぞれにご挨拶に伺ったときのお話をしたいと思います。

 

 

去る建国記念の日、私たちはそれぞれの実家に結婚のお許しを得に挨拶に伺うことになった。反対される心配は一切なかったが、まぁ形式的に筋は通すべきと考えて。

 

虹夫さんのご両親は自営業をされているので時間の自由は利くとのこと。一方私の実家は父が早くに他界しているので、個性の強い母だけでは不安で絶対に兄にも同席してほしいと懇願。三交代勤務の兄に多少無理をお願いして、連日夜勤の合間に時間を取ってもらうことになった。

 

当日は朝10時に虹夫さんのお迎えを受けてアパートを出発。まずは私の実家に向かう。

初めてみるスーツ姿の虹夫さんに、秘かに惚れ直していたのはここだけの話だ。

 

私の実家は郊外の、更にやや奥まったところにある。過疎化が進んでいて、まず車も人通りもない。

 

先月私ひとりで実家に寄った際には玄関の外には大量の植木鉢。上がり框には居住者の数以上の靴。仏間に溢れる兄の仕事道具やメンテナンスアイテムが山のようにあった。

 

それが、なんということでしょう。すっきりと片付いているではありませんか(CV加藤みどり)

 

鬱蒼としていた仏間はさっぱりと、また清々しく、更に華やかにも姪の三段雛飾りまで置かれていた。姪は現在25歳。実家からは出て、独立している。

その姪の雛飾りが出されていることに少々の疑問は感じたが、母の「嫁に行きそびれんように出しといて、て言うから」に苦笑い。

 

私という、もう絶対に嫁に行かないと思っていた叔母が奇跡の嫁入りを決めて、思うところがあったのかもしれない。私と違って彼女にはきちんと結婚願望があったことに、叔母ながら安堵したのも事実だ。

 

ご挨拶そのものは、虹夫さんの堂々とした自己紹介とこれまでの簡単ないきさつから始まり、結婚をしたいと考えていることを改めて伝えた。

母からは「もうこの子が結婚するなんて思ってなかったです」と言われてしまい、ついつい「私もそう思っていました」と返してしまった。

 

その後は虹夫さんのお仕事やご家族の話、今後どのように生活していく予定かなどいろんな話をしていったのだけれど、途中虹夫さんが正座を崩そうとして膝がつらそうに見えた母。

「あ、これを……。これに座ってください」と、中座して何かを取りに行った。たぶん脚の長めの座椅子でも持って来てくれるのだろうと思った。

戻ってきた母のその手には、ピーナツ型のバランスボールが抱えられていた。

「これどうぞ」

「いやいやいや、寧ろ危ないから!」

異口同音に慌てて止める私と兄。激しく動揺している虹夫さん。そりゃあそうでしょうとも。

 

昔から誰も予測もしないことをしでかす母である。絶対にこの日もなにかをやらかすと思っていたが、まさかの来客に座布団代わりにバランスボール。

 

これが妙春宅でのハイライトであった。

 

後日の両家顔合わせ(かなめ打ち)の食事会を約束して、まずは私の実家を辞した私と虹夫さん。

丁度時刻はお昼時。簡単に昼食を済ませて、今度は虹夫さんのご自宅に向かう。

 

道中、虹夫さん宅へ持参する手土産を買いに、街の洋菓子屋さんへ。焼き菓子の詰め合わせを購入。

因みに虹夫さんも妙春宅には別の洋菓子屋さんで購入したお菓子と、ご実家で採れたお野菜を手土産として持参している。私は仏壇に挨拶をしていたので手渡していた瞬間を見てはいないけれど、兄は新鮮でまっすぐなキュウリに感動していた様子だった(声から判断)

 

まるで狙ったように予定通りの時間に虹夫さん宅へ到着。

玄関先でまずご挨拶をしようと思ったら、どんどん勧められてあっという間に室内へ。そこへ虹夫さんのご両親登場。

 

優しそうで大らかな印象で、明るく私を迎え入れてくれた。

緊張しながらも紙袋から手土産を出し、紙袋を下げつつお菓子を差し出す。

「こちらどうぞ召し上がってください」と、つまらいものですが的な遜りは言わないという目標は達成できた。

 

第二関門の自己紹介もなんとか言えたところで、虹夫さんのお母様が言った。

「この子はもう結婚はしないと思ってた」

うちの母とまったく同じことを言われて、思わず虹夫さんと大笑い。

 

まぁ言うてもアラフィフですからね。身内は完全に「こいつはもう生涯おひとりさまだな」と結論付けていてもおかしくない。

なんといっても、誰よりも当人たちがそう思っていたのだし。

 

ひとしきりお話も弾み、そろそろお暇という頃合い。

この後はふたりでお疲れさま会として飲みに出る予定だったので、虹夫さんは普段着に着替えるため一旦自室へ。

 

応接室には虹夫さんのご両親と私の3人が残された。内心かなり緊張してしまったのだが、お母さまが神妙な面持ちで言いづらそうに口火を切った。

「あの子の病気のことは……」

 

虹夫さんは昔患った病気の影響で大手術を経験しており、その経過で現在は片足を引きずるように歩く。それは生涯続くし、それがこれまでの人との関わり合いに影響を及ぼしたこともあると聞いている。

 

ご両親としては、それでも構わないのか気掛かりだったのだろう。虹夫さん本人が席を外したこのタイミングで聞いてくるのは当然だし、私も覚悟はしていた。

 

酒蔵巡りツアーに一緒に参加していると、飲み仲間から「彼氏さんだいぶ酔ってない? 大丈夫?」と声を掛けられたことがあるが、あれは千鳥足ではありませんよ、と返したことも一度だけではない。

何度も参加しているうちに理解してもらえたのか、今では誰もそのようなことは言ってこなくなった。

 

「はい、伺ってます」と私はさらりと返した。そのつもりだ。

ご両親がどう感じたかは分からないが、少なくとも私は虹夫さんの身体については「お互いメタボまっしぐらだからどうにかしようぜ」くらいしか心配事はない。

 

完全にご両親に安心してもらえたかは自信がないが、私はそのあたりの次元はもうとっくに乗り越えたと思っている。

 

それよりも、私にはこの小一時間の間に物凄く気に掛かっていることがあった。

こちらへ伺ってすぐにご両親に差し出したお菓子の存在である。

 

テーブルに包装されたまま置かれたお菓子の、『お早めにお召し上がりください』のシールが丁度こちらも向いていたのだが、それがどう見てもさかさまなのだ。

 

私、お菓子を裏表逆に差し出してしまったぁぁぁっ!!!

 

ど、どうしよう。包装紙の継ぎ目が無かったから、てっきりこっちが上面だと思っていたのに。

話の途中に「すみません、裏返しでした(てへっ)」と引っ繰り返すか? いやいや、そんな突拍子もないこと、出来るわけがない。でもこのまま私たちが帰った後にご両親に気付かれて呆れられるかもしれないと考えるのも肝が冷える。

 

虹夫さんの病気という本来なら重たい話をしている間も、私の頭の中は「お菓子の箱をどうしよう」しかなかった。よく分からないドキドキの時間である。

そのうち、お父様が応接室の調度品の話題を始めた。虹夫さんの曾祖父にあたる方が収集していた品々とのことで、部屋の外にもあると見せてくれることになった。

 

先にお父様が部屋を出て、続いてお母様。そしてそのあとを追うように私が付いて行く形になったのだが、私は「今だぁぁぁっ!」とばかりに電光石火の早さで箱に飛びつきスパーッン! と引っ繰り返すと何事もなかったように廊下に出た。

 

この瞬間が、虹夫さん宅でのハイライトと言えよう。中身が焼き菓子で本当に良かった。

 

古い日本画を見せて頂きながらお話をしているうちに、着替えを終えた虹夫さんが戻ってきたので、ご両親のお見送りを受けて私たちはおいとました。ようやく緊張からの解放である。

 

改めて、こちらの大らかな印象を受けたご両親が私の義理の両親になるんだな、と考えると不思議な気持ちになる。

 

どちらにも言われたことなのだけど、当人がどう考えているかはともかく、やはりこのままひとりでいるのは心配だったと。こうして将来寄り添い合える相手が出来たのは本当に良かったとも。

 

いくつになっても親は子を気に掛けているものだと言うけれど、これで安心してもらえただろうか。

 

両家のご家族にご挨拶を済ませ、お互いの兄弟にも報告し、これで一旦の大きな節目は終えられたと思っている。もちろん、まだまだこれからすべきことも決めなければいけないことも沢山ある。

でもまぁ、それはおいおい。

 

次はかなめ打ち。こちらも何かしらハプニングが起きそうな予感がしている。