大分駅前にある、お部屋ラボ祝祭の広場へ行ってきました。スポーツオブハートのイベントが行われていました。
昨年はコロナ禍の影響で中止になったので、2年ぶりの開催です。
障害者スポーツの祭典といった面があり、ブースには車椅子のレーサー体験が出来たり、ボッチャ体験、車椅子バスケ体験など、お子様を中心にみんなが笑顔でスポーツを楽しんでいました。
健康に関するブースなんてのもあって、血管年齢を測定してもらったのですが、なんと実年齢より6歳も高くて笑えませんでした。なんてこったい。
メインはノーマライズ駅伝という名の実質リレー。車椅子枠、視覚障害者枠、お子様枠に芸人枠と多種多様です。
車椅子同士の接触で一方が転倒。自力で立て直すことが出来ず、同じチームのメンバーが助けに走る場面も。
芸人枠はもう競うのではなくとても自由。特にパワーシティオーイタのアゲハちゃん。名前の通り、ひらひらと飛ぶように走っていました。
以前から憧れの似顔絵師エガオーピンクさんが、折あるごとに「可愛い♡可愛い♡」と評していたアゲハちゃん。どんなに可愛らしいのかと期待していたら、予想を良い意味で裏切る可愛らしさ。声とかキャラの濃いおっさんです。
あまりの面白さに食い入るようにアゲハちゃんに見入る私。ひたすらスマホカメラを向けていたら、向こうも気が付いてこちらにポーズを取ってくれたり話しかけてくれて、しまいにはツーショット画像まで撮らせてくれました。今日からファンになる!
そのあとは所用があり、一旦会場を離れました。途中某ご当地ゆるキャラと戯れたりなどしながらお仲間さんと飲んだり食べたり。
数時間後には再び祝祭の広場へ戻りました。
戻ってみると、既にフィナーレが始まっていました。
ファッションショーや演奏・歌唱・殺陣の演武と次々とワクワクさせてくれるプログラムを楽しんでいた私ですが、ある一点に気が付き、一瞬にして気持ちが下降してしまったのです。
それは、同時に開催していた東京会場のファッションショーに、モデルとしてLGBTQの方が登場したこと。
LGBTQて、障害だったの?と、衝撃を受けたのです。
確かに「性同一性障害」という言葉はありますが、それは男女というたったふたつの性という概念しか考えられていなかった頃のこと。今は?これだけ多様性が認められてきているのに、まだ障害扱いなの?と。
私の持論として、障害者というのは身体もしくは精神や知能が正しく機能していない状態を指しているのだと思っていました。足が動かない、眼が見えない、耳が聴こえないのも、知能が遅れてしまっているのも、何かしら機能が正常に働いていないからなのだと思っています。
実際私の片耳が聴こえないのも、鬱病になったのも、聴覚神経や精神が正常に働いていないから。
でも、LGBTQの方たちは?いったいどこの何が機能していないというの?
これと近い話で、私は「障害者アート」という言葉にも抵抗を感じています。
アートは感性です。感性に、障害者とか健常者って関係ありますか?アートや文学に、そんなカテゴリー分け必要ですか?
義兄が車椅子ということ以外、私は身近に障害のある方はいません。その義兄も遠方に住んでいるので、実際のところ全然身近ではありませんけど。
だから、私の持論が見当はずれであるのか否かも確かめる術はありませんが、やはりどうにも釈然としません。
そして改めて思ったのです。スポーツオブハートというイベント。
障害者スポーツの祭典などではなく、ただただシンプルにスポーツの秋を楽しむイベントになるといいな、と願わずにはいられないのです。