妙春堂の日常ーアラフィフ婚のすゝめー

アラフィフ婚にむけての日常つれづれ日記

2021.11.23 ○○がなければ××すればいいじゃない

一時はマリー・アントワネットの代名詞的台詞とされていた『パンがなければお菓子を食べればいいじゃない』の、違う そうじゃない感。

実際はフランス国王ルイ14世の妃マリー・テレーズの発言だったそうですが、16世王妃アントワネットの発言と誤解されたのは大いに気の毒ですね。

 

て、それこそ「そうじゃない」なお話です。

 

まさに今日読み終えた本がですね、タイトルに騙されたような読後感を持ってしまったのです。てっきり私の病状(鬱と社交不安障害です)に響く言葉に出逢えるのかと期待していたのですが、まさに「ほぉ~ん、で?」的な感想しか覚えなかったのです。

 

そんなこと、とっくに分かっている。それが出来ないから苦しんで、その著作を読むに至ったのに、そこを理解してもらえていないように感じて、更に苦しみを覚えてしまう結果になってしまいました。

 

でもね~、そんなの当たり前なのですよ。不特定多数の読者に向けて著された一冊です。言い方は悪いけれど、全体的に当たり障りのない表現になってしまうのは当然のことです。

私という個人に向けて何か言葉が欲しければ、そういうカウンセラーに個別にカウンセリングを受ければ良いだけの話なのです。とってもシンプル。

 

今回は自己啓発本の類ではありましたが、ストーリー性のある作品でも同じような話を聞いたことがあります。

 

ある読書家さんが、好きなジャンルの作品のありとあらゆる作家の著作を読み漁ったものの自分が読みたいと思える作品になかなか廻り合わない。そこでその人は自分の読みたいと思うものを、自分で書くことにした。そして成功した、と。

 

まさに『読みたい作品がなければ、自分で書けばいいじゃない』です。

煽り文句はどうかとは思いますけども。

 

これは文章表現だけではなく、いろんなメディアに対しても言えると思います。

絵画、写真、映像、歌、演奏、演劇、料理。あ、お酒もですね。

えーと、他には何がある?それらの混合もありですね。

 

自分が欲しているものが無ければ、自分で創りだしてしまえば良いのです。倫理の許される範囲で。

 

原作に触発されて、自分の見たい読みたい展開の漫画や小説、イラストをかいている二次創作の作家さんも、きっと同じことだと思うのですよね。

私も昔は塩沢兼人さんにこんなキャラクターを演じてもらいたい、との思いから、それはもう下っ手くそな小説を書いていたので、その気持ちは分かるつもりです。本当に下手くそすぎて、設定伝えるから誰か代わりに書いて!て泣きつきたくなるほど悲惨な出来映えでしたが。

 

元々文章を書くのは大好き。人を笑わせるのも大好き。

でも、技量がなくて鬱展開になっちゃう文章も多々。人の気を滅入らせることにかけては、謂わば天才の域な私。

さいわい、その文才で笑えて癒して力づけることも出来る作家は星の数ほどいらっしゃるので、敢えて私がドカンと花火を打ち上げてやるぜ!な展開にはなりません。

残念ながら、マリー・テレーズ式は私には通用しません。

 

北大路公子先生は、もっと高く評価されて良いと思うの。

(唐突に推し作家さんのアピールを混ぜちゃう姑息な手法)

 

まさかマリー・テレーズも、ちょっとした浅薄さから発した言葉をこんな紆余曲解するやつが出てくるとは思わなっただろうな。煽り文句は海と時代を超える。

 

でも私は、すべての表現者の皆さまをこの言葉で応援したいと思うのです。